前回の記事に引き続き、押切蓮介の漫画作品『ミスミソウ』について書いていきたいと思います。
『ハイスコアガール』や『ピコピコ少年』などのコメディタッチの作品で近年は有名となっている押切先生ですが、この『ミスミソウ』はかなりダークな世界観、救いのないストーリーが話題となった作品です。
壮絶なイジメの描写やグロテスクな復習シーンばかりが話題にあがりますが、この漫画は押切先生の作品の中でもかなりのメッセージ性を持ったものであると、私は考えています。
特に、ラストのシーンの描写については、一度読んだだけでは理解できない可能性が大いにあります。
またミスミソウのエピローグについては、完全版での加筆によって多少なりとも救いのある展開になっていますので、ご覧になっていない方は是非とも読んでみてください!
今回は、ラストのシーンがどのような意味を持っているのか?について考察した結果をシェアしていきます。
以降、ネタバレを含みますのでご注意ください!
目次
ミスミソウの結末は?
全くと言っていいほど救いがありません。
メインに登場する子供のキャラクターはほぼ全員死亡する展開となっています。
メインキャラクターの生死
野咲 春花
生死不明(おそらく死亡)
相場を倒すことには成功しますが、流美につけられた傷と相場に殴られた傷が原因で力尽きたと思われます。
相場 晄
死亡
春花に屈折した愛情をぶつけ、暴行をするも、油断したところをボウガンでカメラごと目を撃ち抜かれて死亡しました。
小黒 妙子
死亡
春花と和解することに成功しますが、その後流美に襲撃され、死亡します。
佐山 流美
死亡
春花に襲いかかっているところを相場に襲われ、死亡します。
おじいちゃん
生存
暴走した相場に暴行を受け、重体になりますが、一命はとりとめます。
物語のラストシーンを飾るのも彼です。
ラストシーンは?
おじいちゃんが大津馬村へと墓参りに訪れるシーンから始まります。
その後、おじいちゃんは東京へと戻る電車内で、春花の幻影に何度も謝罪をし、涙を流します。
息子夫婦、そして最愛の孫2人を失った上に、殺人という重い罪を1人で抱え込んだ春花の何の役にも立つことができなかった、というおじいちゃんの後悔が痛いほど伝わってきます。
1人生き残ってしまった彼は老い先短い余生を、自責の念を抱えて過ごすのだと考えると、辛いものがありますね…
しかし、完全版の加筆エピローグではおじいちゃんが語りかける春花の幻影が涙を見せるシーンが追加されており、おじいちゃんに少しの救いがあると感じられます。
そして、ラストシーンは「春花・祥子、春が来たよ」というおじいちゃんのセリフとともに、一面に広がるミスミソウが描かれてエンドとなります。
ミスミソウのラストのシーンの意味は?
ラストシーンでは一面に広がる「ミスミソウ」、このマンガのタイトルでもあり、物語の開始を担うのもこのミスミソウでした。
少なくとも、ラストのシーンおよび、この作品で押切先生が伝えたかったメッセージには「ミスミソウ」が関連していると見て間違いないでしょう。
ここでは、ミスミソウの持つ意味と作品内での描写との共通点を調査していきます。
ミスミソウとは
ミスミソウは漢字で「雪割草」と書くことができ、厳しい寒さに耐えて、雪の下から顔をのぞかせる小さな花のことを指します。
卒業(春)までの期間、イジメにじっと耐えようとする春花にぴったりな花でもありますね。
そして、春花の名前の漢字は「春の花」であり、ミスミソウ=春花であるという意味が込められていると考えられます。
ミスミソウの花言葉
ミスミソウの花言葉は以下の通り、この作品で描かれたキャラクター達の内面に一致するものが多く見受けられますね。
『あなたを信じます』『信頼』『期待』『和解』『自信』『優雅』『内緒』『はにかみや』『悲痛』『少年時代の希望』
つまり、この作品における「ミスミソウ」とは、春花のことだけではなく、登場する子供のキャラクター全てを指しているとも言えます。
イジメの標的となっている春花の悲惨な状況ばかりが目に付きますが、それぞれのキャラクターが家庭内暴力・家庭環境・学校における自分の立場などに悩み、葛藤し、精一杯生きようとしていることが、作品内でも描写されています。
ラストのシーンの意味とは?
春花、そして彼女と死闘を繰り広げたクラスメイト達、それぞれが自らを取り巻く大人・環境からも認められる・気づかれることなく必死に生きて、逝ってしまいました。
命を失いながらも、辛い「冬」を耐え、「春」になって自分たちを認めてもらおうと満開に咲き誇らせている、そんな彼らを決して忘れないでほしい、というメッセージが込められたシーンであると、読み取れました。
ミスミソウに込められた作者のメッセージとは?
作者のあとがきには小さな存在である「ミスミソウ」だが、それぞれが個性を持って必死になって花を咲かせるのであり、それらを慈しむ気持ちを忘れないでほしいというメッセージが書かれています。
これを読んで果たしてこの作品に登場する、凄惨なイジメを繰り広げたキャラクター達が「普通」の人間なのか?という疑問を持ちました。
しかし、イジメとは現代日本に根強く潜む問題であり、作品内での事件はどこかで起こりうる話であるとも言えるのではないでしょうか?
イジメの原因は本当に子供達だけにあるのか?
それを取り巻く大人たちは必死に生きている彼らのことを認めてあげているのか、ということを改めて考えさせられるあとがきでした。
(※このあとがきは完全版には収録されていないので、ご注意ください)
ミスミソウは一つ一つが小さく、目立つ花ではありません。
そのどれもが様々な個性を持ち、必死になって小さな花を咲かせます。
それらを慈しむ気持ち、人間に向ける事を忘れないで欲しいと思い、この作品を描きました。
普段、自分が描いているテイストを崩しての話作りは困難を極め、「普通」の人間を描く難しさを改めて痛感しました。
描き終えた今、ようやく長い冬を越して、春を迎えられた気がしております。
様々な人達がサポートしてくれたおかげで、こうして一つの作品が生まれたと思っております。
自分一人の力では到底、無理でした。
担当編集者の高野様の力も絶大でございました。
関わってくれた全ての人達に頭が上がりません。
そしてこの作品を最後まで見届けてくれた読者の方々にも、感謝の意をここに表します。本当に有難うございました。
2009年5月26日 押切蓮介
まとめ
- ラストシーンには、必死になって自分たちを認めてもらおうと満開に咲き誇らせている、そんな子どもたちを慈しんで欲しいというメッセージが込められている
- ミスミソウとは、登場するキャラクター全てを指していると言える
- 存在感のない「普通」の人間も必死に生きようとしていることを、忘れないで欲しいというメッセージが込められている
以上、『ミスミソウ』のラストシーンや、タイトルの込められた意味についての考察でした。
あくまで個人的な考察なので、他にも様々な意見があると思います。
是非、作品を読んで自分なりの考察をしてみてはいかがでしょうか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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個人的には春花は最初から最後まで、普通の人間だった!と言う印象を持ちました。復習に凶器した!と言うよりは、余りにも周りの人間が異常過ぎて、ついには人として超えてはならない境界線を超えてしまった。春花はその異常な環境化(大人達さえも直視していなかった)に怒りを抑えられなくなってしまった。と、見えました。
そして、ラストの春花の生死に関しては生きていたとしたら、作品としては復讐劇より残忍極まりないと思われますので、作者のあとがきを読んだ限りでは亡くなって、家族の元へと行って救われた。と、勝手に解釈しました。
妹が迎えに来たシーンがそう、感じさせられました。
言い方や、貴方のもった感想にすごく共感したので読書感想文で見習ってもいいですか?
ありがとうございます。
記事についてでしたら、お好きなようにご参考ください。
小黒妙子は亡くなっていないと思います。最後の卒業式に姿がありゆういつ妙子が生き残って映画は終わったと思うんですが…?