『千と千尋の神隠し』の議題としてよく上がるのが
ラストのシーンで千尋が豚の集団から、なぜ両親を見分けられたのか?という点。
千尋の両親との絆を示すかのようなシーンなのですが
特に前置きや手がかりもなく、千尋は自然に見分け、湯婆婆との謎掛けに勝利するんですよね…
実際に映画を見て見分けられた理由が気になったので、様々な考察を読んで情報をまとめてみました。
目次
豚の集団から両親を当てるシーン
物語の終盤、現世に戻ろうとする千尋に対して
湯婆婆が豚の集団から両親を見分けられたら解放するという取引を持ちかけます。
冒頭で豚と化した後、全く本編に関わってこなかった両親…
視聴者も全く見分けがつきません。
しかし、千尋は豚の集団の中に両親がいないと答え、さらにそれが正解であることが明かされます。
湯婆婆は元より千尋を解放するつもりがなく、どの豚を選んでもハズレになる意地の悪い取引であったわけです。
豚と両親を見分けられた理由は?
では、どうして千尋は豚の集団から両親を見分けられたのか?
これについては様々な説が考察されており、いくつかをピックアップしてみました。
また、監督の宮崎駿によるラストシーンに対するコメントについても掲載いたします。
両親との絆があった説
千尋と両親との絆があるため、大量の豚の中でも両親が見分けられたとする説です。
特に裏付けとかはなく、「親と子供は絆があるでしょ」的な理論。
これは溺愛しているハズの坊に対して、姿が変わっただけで認識できなくなる湯婆婆との対比になっているとも言えます。
千尋が両親に依存しなくなった説
「油屋」での体験によって、最初は両親に依存していた千尋が人間的に成長して独り立ちしたことを表すという説です。
両親と別れた後、「油屋」へと迷い込んだ千尋は様々な事件へと関わり、人間として大きく成長します。
「油屋」での生活は10歳の少女が体験した内容としては、かなり濃いものでしょう。
そのため、独り立ちを表すシーンとしては適していますが、両親を置いて帰るという点では少し疑問が残りますね。
豚に髪の毛があった説
親の豚には髪の毛があったから見分けられたとする説。
確かに、両親が豚と化した際には髪の毛が残っています。
髪の毛のある豚の画像
しかし、その後ハクに養豚場に連れて行かれた際には全ての豚が同じ見た目をしているんですよね。
もちろん、(ハクは両親がいると言っていましたが)養豚場に両親がいる証拠はないですが、
この時点で千尋は全ての豚が同じ見た目だと認識しているので、見分けられた理由としては少し弱い気がしますね。
補足:宮崎駿監督の言葉
これだけの経験を経てきた千尋は両親がいないことが分かる。
なぜ分かるか、でも分かるのが人生ですよ。
それしかないんですよ。
要するに「細けえこたぁ良いんだよ!」ということですね。
宮崎駿監督の答えとしては、「千尋が成長したから」とのこと。
理由とかはどうでもよくて、描きたいシーンを描いたらああなった、というのが結論だと思います。
まとめ
- 物語中で見分けられた理由は説明がない
- 理由は様々な考察がされている
- 宮崎駿監督によると「特に理由はない」
以上、千尋が豚の集団から両親を見分けられた理由についてのまとめでした。
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